餓死 自殺 苦しい
さて、死のうと思ってとりあえず8日程食事を抜きました。
まず、ここへ来た人間が考えている事は、楽に死ぬ方法を探している人でしょう。
首吊りやヘリウム自殺といった方法は国家も認める程の最も苦痛の少ない死の方法ではあるが、とても勇気のいる方法でもあると思います。
積極的に死へのアプローチをするには、とても勇気がいると思います。
そこで、消極的な自殺の方法とも言える餓死が選択肢として出てくるわけです。
この餓死に至る期間として以下の二つが挙げられます。
●水有り
●水無し
これ、非常に餓死に至るまでの期間に差が出ます。
水無しであれば個人差はありますが、1週間持つ人間は稀でしょう。
ですが、乾きという苦痛が発生します。
飢餓に比べ、乾きというのは非常に苦痛が強いです。
乾きという苦痛は、痛みや窒息に匹敵するほど辛い苦痛と言えます。
これは個人差もあるでしょうから、貴方自信がこれに該当するのかどうかは保証しかねます。
とりえあえず、乾きというのが非常に人間にとっては苦痛であるというのは間違いないと思います。
水有りの場合ですが、これは乾きではなく、あくまで飢餓や空腹感を感じます。
ですが、この空腹感は2~3日程で、次第に感じなくなります。
食事を摂らないと、徐々に血糖値が低下していきます。
およそですが、7割りを切ると急激な空腹感を感じます。
そして5割を切ると、めまいや悪寒、吐き気などを感じます。
4割を切ると痙攣や昏睡が発生し、この辺りが生死の分かれ目になるようです。
3割を切った時点で呼吸中枢がマヒして死に至るといわれています。
結果、眠ったような状態で死に至る為、身体的な苦痛は非常に少ない死に方の一つである事は間違いありません。
ですが、恐怖という観点で見ると、餓死というのはなかなか難易度の高い方法であるといえます。
ここからは実体験を元にした情報になるため、個人差があるはずなので全く参考にならない可能性があります。
その辺りを踏まえたうえでお読み頂ける方のみお読み下さい。
水有りの状態で餓死しようとすると、平均すると7日程度で死に至るそうです。
それを知った上で、5日目を超えた辺りから、ほぼ眠る事が出来なくなります。
正確には48時間に1回、4~5時間程度しか睡眠が取れなくなります。
実際に寝ようとしても、段々と身体がビリビリとしびれて、徐々に呼吸が苦しくなります。
肝臓の辺りに多少痛みも感じました。
どうにか眠りにつこうとしても10分~20分程度で目が覚めます。
身体が死に瀕して、動けるうちに意識を取り戻しているんじゃないかと感じます。
もしこのまま数時間眠ってしまったら、そのまま死ぬんじゃないだろうかと思って眠りについても、実際には短時間で目が覚めてしまい、死ぬ覚悟をその都度決めてから眠る必要があります。
10~20回、死の覚悟を決めて眠った所で、2~3時間しか経過しておらず、非常に精神的な疲労を感じます。
さらに、異常な程に喉がカラカラになっており、呼吸をするとすぐに咳きが出てしまうような状態になっていて、次に眠るまでの間もかなり苦痛を感じました。
この辺りで恐らくは血糖値が7割弱になってきたのだと思いますが、ここからが長いのです。
この辺りから、恐らく筋肉や脂肪の分解が始まるため、なかなか血糖値が低下してゆきません。
その為、「ああ、この症状が出てきたならもうすぐだ・・・」と思ってから意外と「もつ」のです。
時間経過を考えると、そろそろ5割を切ってもいいのではないか?と思いつつも、意外に動けるし、トイレにも行ける。
多少手足はしびれてもまだ動けてしまう。
眠れないが、眠ると死ぬんではないかという程に眩暈や悪寒がする。
けれど、数分で目が覚めてしまう。
眠る=死ぬと思って何度も覚悟を決めるのは正直疲れました。
私が経験できたのはここまでで、あまりの喉の痛みから、水を補給してしまった上、心理的な疲労からか、徐々に細かく栄養を摂取していまい結果、生存してしまいました。
おそらくこのまま何度と無く、死の恐怖に耐え続ければ、いずれ死に至ったのでしょうが、正直毎回死の恐怖に耐えながら水も飲まずに我慢するというのは、水道が停止され、頼る家族や隣人、知人、友人がいない、本当に絶望した状況でなければ到底耐えられるものではないというのが、餓死に対する私なりの結論です。
餓死による自殺をもし完遂出来たのであれば、それは貴方が余程の覚悟か、そこまで世間から見放された存在でなければ恐らく不可能な方法だと思います。
それであれば、首を吊ったり、ヘリウムを吸引したりする方が余程手軽なのではないでしょうか。
自殺を勧める気は無いので、もし自殺を考えている人がいるのなら、とりあえず餓死を選択する事をオススメします。
その上でもし死ぬことが出来たのなら、貴方は死を選択する権利を持った人だったという事だと思います。
もし死の恐怖に怯えて、死ぬことが出来なかったのであれば、多分、貴方にはなんらかの生きる道が残されていて、貴方自信もそれに気がついているんじゃないかと思っています。